笑顔のある未来へ

DV&モラハラ、被害からの解放についてなど様々なことを綴っています。私は今の自分にできることをしよう。    あなたも、どうか『自分を抱きしめて、いたわって』

決断。~その後

決断していざ動いたはいいけれど、やっぱり、いろいろ考えてしまうものだなぁ・・・

 

言えたことでホッとした気持ち。

言えなかったことを悔やむ気持ち。

言うことを決めた気持ち。

言わないことを決めた気持ち。

 

誰を信じればいいのか。

どこまで信じたらいいのか。

あの人たちを信じて本当に大丈夫か。

本当に信じられる人たちなのか。

 

私の中に残ったのは、

あの人たちを信じるということ。

もうひとつ、

夫を信じるということ。

 

こういうこともわかっちゃうのかなぁ・・・?

そうならおっかない世界だなぁ。

 

疲れた。

ああ、静かに生きたい。。

 

ひとつひとつ乗り越えていこう。

ひとつひとつやって行こう。

 

今はとりあえず仕事に集中。

決断。

届を出す。

真実を話す。

 

11月21日。

覚悟を決めて、決断し、動いた。

 

先のことは何度も考えた。

考えて考えて、覚悟を決めて、揺れて、また考えて、それを何度も繰り返した。

何度も『自分と子どもたちの生活を守れればいいじゃないか』と思った。

 

本当にそうか・・・?

 

私は本当に全てを黙っていればいいのか。

黙っていて、何か事が起きるのを待っていればいいのか。

問題や犠牲が出るのをただ待っていればいいのか。

 

いつか何かが起きる可能性は、どこまで考慮したらいいのか。

どこまで。

 

子どもにとってこれは教育的か。

何が教育的か。

 

彼にとって私が黙っていることは本当に得策なのか。

 

黙っていれば、生活は守られる。

 

 

具合悪くなってきた、一時中断。

 

 

DV被害、今こそその支配から抜け出す時。

私は、DVを受けていた。

そのことを自覚できるようになるまでに、こんなにも時間がかかるなんて。

夫と別居して1年3か月。

ようやく私の思考が戻った。

完璧!完全!ではないが、“戻ってきた”と言える段階まで回復した。

今まで、何度も『戻った。自分が戻った』と思っては、DVを受け洗脳的に支配され麻痺した自分の感覚へと、いつの間にかズルリと思考が引き戻され、本来の自分の思考を取り戻すことが難しかった。

 

自信満々に語り、間違ったことを正しいとする人。

善人のふりをしていながら、罪を犯している事実を隠し平気で嘘をついて人を欺き、悪くない人を平気で貶める人。

力と金で全てをねじ伏せようとする人。

それが私の夫だ。

闘いはこれからだ。 

絶対に負けない。

 

私はこれまでずっと、自分はどちらかと言うと、そういうものには無縁だろうと思っていた。

「自分はDV被害者にはならないだろう」

「そんなことになる前にわかるだろう」

「危険性を感じたら逃げたり、誰かに相談したり、とにかくその状況から逃れられるだろう」

でも、私は、間違いなくDVに遭った。

 

最初は、「あれ?」と疑問に思うのだ。そう、私は確かに「これはおかしい」と思っていた。

例えば、生活費をもらえないこと。もらえても定額でないこと。金額がまちまちであること。夫が些細なことですぐ怒鳴ること。怒鳴り続けること。殴る。蹴る。首を絞める。子どもを、家庭を放り出し、連絡が取れなくなること。ありもしないことをあったかのように吹聴し私を貶めるようなことを平気ですることも・・・・・

ああ、ちょっとしんどくなってきちゃったな。

されたことは数知れない。命の危険は何度も感じた。

夫に対し、言葉を飲み込み、言葉を選び、いつからかいいなりになっていた。

私の思考は徐々に麻痺していき、精神は弱り、正常な判断力を失っていった。

 

でも、先日やっと髪を切れた。

 

髪を切って良かった。

私は、私を取り戻した。

 

闘いはこれから。

負けるな自分。

私には子どもたちがいる。

あの子たちの笑顔のためにも、絶対に負けない。

何を言われようと、何をされようと、どんな理不尽な思いをしようと、私は絶対にくじけない。 

 何度でも顔を上げて、涙をぬぐって、戦い抜く!

洗脳的支配から抜け出す

8月12日、子育て支援課の家庭訪問があった。この時には、希望して来てもらった。

子どもたちに関して、

「問題ない。いろいろなことあったが、今のペースで十分。十分どころか、文句なし」と。

また、

「素晴らしいよ。よく工夫してうまくやってる。あなたはお手本になるようなママ」との言葉をいただいた。

 

先日、10月2日、子育て支援課より就職前に一度、と家庭訪問があった。

この日私は体調が優れなかった。

夫とのニアミスの影響から、夢見が悪く、体調不良が改善せずにいた。

担当者からも「私たちも驚いた。鉢合わせしなくてよかった。心配していた」と言われた。

 

ねぎらいの言葉。

励ましの言葉。

率直な言葉。

と、ここで、私は若干の不信感を抱いてしまうのだ。

 

この人たちが嘘なんて言ってはいないことなど百も承知だ。

この人たちは、仕事をしている人たち。

すでにそれなりの信頼関係は築けていて、率直に、物も言う。

無理に私に話を合わせているわけでもない。

 

なぜ、私が不信感を抱くのか・・・

 

夫の発言が、私の思考に影響している。

 「俺にわかるように話をしろ」

「俺にわかるように言えよ」

「みんなお前に話を合わせてくれているんだぞ。それがわからないのか」

  主にはこれら☝

これで収まらない場合、怒鳴り続けられ、殴られる。

 

頭をよぎり、頭の中にこびりついて離れない。

自分が弱っていると精神を持っていかれてしまう。

油断して、隙があると、ズルリと引きずられてしまうのだ。


離れて暮らし一年以上経った今もなお、自信満々に間違ったことを言い、する人たちの残像に悩まされている。

隙があると、頭の中に、脳の中に、にゅるりと入り込んでくる。

私の頭の中のどこかに隠れていて、ひょっこり顔を出す、というのがある意味では当てはまるかもしれない。

とにかく、不意に現れ、再び私の頭と心を支配しようとする。


引きずられないために、 私は闘う。

侵入を許さないために、私は闘う。


私はおかしくない。

私は間違ってない。

私は負けない。

私はくじけない。

私は必ず道を切り開く。


ここにもう夫はいない。

大丈夫。大丈夫。大丈夫。


今ある証拠を持って、警察に相談に行きたい。

もっと早く相談に行けば良かったのか。

警察は、果たしてどう対応するのだろうか。

“髪を切っても怒られない”という現実

先日、久しぶりにお気に入りのヘアサロンに行きました。

伸びた髪をバッサリ切ってきました。

 

私自身に“DVを受けていた”という自覚が芽生えたことがきっかけで、

『髪を切ってもいいんだ』と思えたため、髪を切ろうと決断しました。

 

ずっと切りたかった髪。

ずっと行きたかった美容室。

私も女ですから、やはりたまには行きたい美容室。

 

ずっと自分で髪を切っていました。

ちなみに・・・

節約のためにとか、そういう目的ならいくらでも我慢できるのです。

自分でうまくカットできた際には、気分ウキウキ♪になるくらいです。

 

ですが、実情が、経緯が違うのです・・・

我が家では、夫は毎月美容室に行き、私は行くことを許してもらえませんでした。

 

私はもともとショートヘアが好きで、特に小さい子どもがいるとお風呂上りや朝も手入れが楽なので、ショートにしたかった。

でも、それは“許されざる行為”でした。

私が少しでも髪を切ること=夫の地雷を踏む行為、でした。

夫はロングヘアが好きなのです。

ボブでも、ショートボブでもだめ。

ショートカットなんて完全に地雷爆発、逆鱗に触れる行為でした。

私が夫に許可なく髪を切ると、決まってこう言われました。

「また髪を切った」

「俺は長い髪が好きだって言ってるだろ。俺のことを愛してないんだな」

「俺のことが好きじゃない証拠だ。愛情のかけらもない」

「何度も言ってるのに・・・お前とは合わない。無理。やっていけない」

止めに、「もう離婚だ」

そこからは無視。

夫は実家に帰るなどして行方をくらまし連絡が取れなくなる。

生活費をよこさない。

当然子どもは放置。家庭を顧みない。

もうしっちゃかめっちゃかなんですが、夫は至って真剣です。

これらに対し、どこかのタイミングで私が何か言おうものなら、身体的暴力を加えられ、もうぼこぼこにされました。

子どもがそばにいようと、見ていようとまるでお構いなしです。

しかも、「うぉおおおおーーー」とか「ああああああああーーー」とか、奇声を発して殴りかかってきて、奇声を発したまま殴り続けたりで、いつもぼこぼこでした。

 

今回のように、意を決して髪を切る辺りが、私がまだまだDV被害からの脱却ができていない証拠のように感じられます。

先日のDV夫とのニアミスの際には、私はすでにショートカットでした。

私のその姿を見られでもしたら、何を言われるか、されるかわからない、そう思い、怯え、恐怖で震え、身を隠しました。

あの日から、夢見が悪いです。

私は、夫に首を絞められたことがあるのですが、そのことが夢に出てきます。

髪を切ったことをずっと非難される夢です。

目が覚めると、ぐったりと疲れ、身体はこわばり、夢か現実かの区別が一瞬つきません。

夢があまりにリアルであるためです。

それでも、今は、何とか自分を現実に引き戻すことができます。

これは、DV被害から、回復してきている証拠ではあると思います。

少し前は、殴られた箇所や首や顔、頭、身体に殴られた後のような痛みが出ましたが、今はそれはありません。

ちなみに、こういったことというのは、DVを受けた身体の記憶として実際に起こることなのだそうです。

 

ともかく今はまだ、毎日、事あるごとに、私は自分に言い聞かせるのです。

「大丈夫。いいの。髪を切ってもいいの。それは私の自由」と。