洗脳的支配から抜け出す
8月12日、子育て支援課の家庭訪問があった。この時には、希望して来てもらった。
子どもたちに関して、
「問題ない。いろいろなことあったが、今のペースで十分。十分どころか、文句なし」と。
また、
「素晴らしいよ。よく工夫してうまくやってる。あなたはお手本になるようなママ」との言葉をいただいた。
先日、10月2日、子育て支援課より就職前に一度、と家庭訪問があった。
この日私は体調が優れなかった。
夫とのニアミスの影響から、夢見が悪く、体調不良が改善せずにいた。
担当者からも「私たちも驚いた。鉢合わせしなくてよかった。心配していた」と言われた。
ねぎらいの言葉。
励ましの言葉。
率直な言葉。
と、ここで、私は若干の不信感を抱いてしまうのだ。
この人たちが嘘なんて言ってはいないことなど百も承知だ。
この人たちは、仕事をしている人たち。
すでにそれなりの信頼関係は築けていて、率直に、物も言う。
無理に私に話を合わせているわけでもない。
なぜ、私が不信感を抱くのか・・・
夫の発言が、私の思考に影響している。
「俺にわかるように話をしろ」
「俺にわかるように言えよ」
「みんなお前に話を合わせてくれているんだぞ。それがわからないのか」
主にはこれら☝
これで収まらない場合、怒鳴り続けられ、殴られる。
頭をよぎり、頭の中にこびりついて離れない。
自分が弱っていると精神を持っていかれてしまう。
油断して、隙があると、ズルリと引きずられてしまうのだ。
離れて暮らし一年以上経った今もなお、自信満々に間違ったことを言い、する人たちの残像に悩まされている。
隙があると、頭の中に、脳の中に、にゅるりと入り込んでくる。
私の頭の中のどこかに隠れていて、ひょっこり顔を出す、というのがある意味では当てはまるかもしれない。
とにかく、不意に現れ、再び私の頭と心を支配しようとする。
引きずられないために、 私は闘う。
侵入を許さないために、私は闘う。
私はおかしくない。
私は間違ってない。
私は負けない。
私はくじけない。
私は必ず道を切り開く。
ここにもう夫はいない。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
今ある証拠を持って、警察に相談に行きたい。
もっと早く相談に行けば良かったのか。
警察は、果たしてどう対応するのだろうか。