DVの中に存在するもの
私は、自分がまさか夫から暴力を振るわれるとは思ってもみませんでした。
けれども、私たち夫婦の間に起きたことは、紛れもない事実でした。
夫は、自分のしたことを認める、謝罪するなどということからはほど遠く、むしろ「自分の方が妻からのDVに遭った被害者である」という主張を調停で繰り広げました。夫は、「妻は子どもたちを虐待し育児放棄している」とも言っています。
実は、“DV加害者が自分は(自分こそが)被害者と主張する”ことは、よくあることなのだそうです。インターネット等で調べてみてもこの手の記事が出てきます。
私自身、身の回りの調停等に詳しい人や法曹関係者に相談した際、同様の話や意見を耳にし、幾つかのアドバイスを受けました。
市役所の女性相談員(保護担当者)にも、気を付けるように言われたことを昨日のことのように覚えています。
『うまい嘘なら人は騙されることがある』
そういうことが現実にあってはならない場面であっても十分に起こる、ということです。
調停等控えている被害者の方は、くれぐれも気をつけてください。
どんな理由があっても、暴力は絶対NGです。
DVに言い訳はない。
暴力はコミュニケーションの手段や方法ではありません。
そのことを、決して忘れないでください。
どんなに心が揺れても、思い出してください。この言葉を・・・
一緒に暮らしている当初、夫に対して、
「嘘がうまいなあ」
「よくそんなこと言えるなあ」
そのように感じたことは何度かありました。
改めてこのことを調停では身にしみて感じました。
嘘も方便という言葉がありますね。
私は、人が生きている中には“必要な嘘”というのも、時にはあるかなと思っています。
ただ、コレは、『そういったこととは全く別のものである』ということを、このブログを読んでくださった皆様にはせめてご理解頂ければ幸いです。
DV加害者は、特徴として非常に高い演技性を持っています。ある側面で見れば演技性と言えますが、見方を変えると、二面性があると表現できるかとも思います。
これはある種の才能のようなものでもある、と私は思います。暴力という形で表れなければ、違った方向に向き、よいエネルギーとして活用することも出来得ると思うからです。
さて、この演技性というものの根底にあるのは、“自分を良く見せたい気持ちの表れ”です。『自分は(絶対)正しい。正しいことをしている。間違っていない』等という思考を持つことに由来するものです。
『妻が◯◯だから仕方なく(暴力を振るった)』
『自分は◯◯だと思っていたが、△△な状況だったからそうなった(殴った) 』
『いきなり殴ったのではなく、ケンカの延長で口論の末殴った』など。
加害者からは、必ず理由付けが行われます。
これは、加害者が自分自身を守るための理由付けです。
加害者の言い分を聞いていると、「ああ、なるほどな」「そうか、それなら仕方なかったのかな・・・」などと、思わず共感してしまいそうな具合に話が展開していくことがあります。
展開していくというより、そこに引き込まれてしまうような、飲み込まれてしまうような感覚に似ています。やけに説得力のある表現を使ったり、揺るぎない強い自信に支えられた表現で様々なことを話すため、聞き手はその世界に飲まれてしまうのです。
DV加害者の一部は、消極的だったり、自分に自信がないことなどから、他者に自分を良く見せるためであったり、自分を否定され傷つかないための方法を、長く身体で学習しています。それらは、すでに身体に染み付いた熟練したテクニックとして存在していて“必要に応じて”それを引き出して体現することができます。これは、無意識的に行われるものと、意識的かつ確信犯的に行われるものがありますが、前者と後者は似て非なるものです。
暴力の中には、背景となるものが必ず存在します。怒りの背景にある考え方や価値観を変えない限り、暴力という手段を選択肢から消し去ることはできません。暴力の支配の関係性は、相手を尊重する気持ちの欠如から始まると思います。そこには依然として男性優位、女性蔑視の考え方があるのです。尊重する気持ちがあるかどうかで、結果、未来は大きく変わります。
逃げても逃げても、決して休まることのない気持ち。
安心することのない心。
どこに逃げたら安心か。
心からの安らぎを得て生活ができるのか。
心から笑うことができるのか。
私は、
「もしもDV加害者が変わることができたら・・・」
そう思っています。
『今も殴られている人がいる。』
『それを見ている子どもがいる。』
『暴力に耐える人がいる。』
『怯えて息をしている人がいる。』
それを知って・・・
そう思ったら・・・
私は自分も被害者なのに、私に何かできることはないのだろうかと考え始めていた。
いつか暴力を克服したいと思った。その時の思いが今に続いている。
いつか、きっと、成し遂げよう。
被害者支援と加害者更生。
皆が笑える社会になればいい。ただ、そう思い願う気持ちだけが今に続いている。