幸せ。
久しぶりに同僚と雑談をする時間に恵まれた。
穏やかで、心地よい、温かな時間だった。
ありがとう。
ゆっくり話せて本当によかった。
先日は、上司との面談があり、“話し”をする機会に恵まれている今日この頃。
この“話し”によって、私はとても救われる。
自分の状態、状況を客観的に知ることができるからだ。
そして、ありがたい言葉をもらうことができるから。
「頑張らなくていいよ」
「十分すぎるくらいできてるから、すごくしっかりしてるから、もっとできなくても、失敗してもいいんだよ」
「怒る人も、殴る人もいないから、もう大丈夫だよ」
「気を抜いていいよ」
「力を抜いていいよ」
いっぱいいっぱいありがたい言葉に救われて、温かい気持ちに救われて、今の私が
成り立っている。
本当にありがとうございます。
本当に、感謝しています。
私は、“自由”だ。
今、ここに束縛はない。
自分の思うまま(それなりに適度に言葉を選んだりはするけれど・・・)
話をしても、怒られない。
自分の気持ちを素直に表しても、怒られない。
「疲れた」って言っても怒られない。
顔色を見ながら、必要以上に言葉を選んで、機嫌を損ねないように話をしなくても
怒られない。
朝、ふつうに目が覚めて、普通に顔を洗うことができて、身支度をすることができて、着たい服を着ることができる。
朝、起きても身体はどこも痛くない。殴られてないから。
顔を洗ってもどこにもしみない。どこも怪我してないから。
化粧はふつうにすればいい。
あざをどうやってうまく隠すか、うまく隠せているか、何度も鏡を見て、確認しなくていい。
うまく隠して、湿布を貼って、ばんそうこうを貼って、また角度を変えてあざが隠れているか確認して、『うまく隠せた』と、ホッと胸をなでおろすことは、もうない。
夏の暑い最中、長袖を着て、タートルネックを着て、傷やあざを隠す必要はない。
今日の天気予報を見て、自分の着たい服を自分で好きなようにコーディネイトして
着ることができる。
そうして、ふつうに出勤して、身体のどこにも痛みを感じることなく仕事ができて、あざや傷が目に触れないよう、神経をとがらせることも、必要ない。
仕事に集中することができる。
帰って、子どもとゆっくりと食事ができる。
笑って食事ができる。
ふざけあって、冗談を言い合える。
片付けを後回しにして、子どもと遊ぶことができる。
うっかり子どもと一緒に寝てしまって、片付けができていなくても、洗濯を干し忘れていても、怒られることはない。
ひどく疲れていたり、具合が悪くて、家事がおろそかになっても、怒られることはない。
私は、私の身体や、状況や、子どもたちのことを考えたりしながら、
時に無理をしたり、無理をしなかったり、だらりと過ごしたり、きっちりやってみたり、頑張ったり、頑張らなかったりしながら、毎日を過ごすことができる。
安心して、家にいられることが本当に幸せ。
今は、まだ、私はこういうことに幸せを感じる。
きっとごく当たり前のこと。ほんの些細なこと。
それが今の私の幸せ。