笑顔のある未来へ

DV&モラハラ、被害からの解放についてなど様々なことを綴っています。私は今の自分にできることをしよう。    あなたも、どうか『自分を抱きしめて、いたわって』

DVを認識するとき

「殴られることはDV。でもそれだけがDVではないの。

良く聞いて。あなたは、間違いなくDVを受けている」

 

あの日、小さな面接室で、初めて会った女性相談員に言われた言葉。

 

まるで、雷にでも打たれたかのような衝撃を覚えたのを、

私は、今でもはっきりと覚えている。

 

ただ、愕然とした。

どうしようもない事実を突き付けられて、言葉にならなかった。

 

ゆっくりと目を閉じて、

ゆっくりと、目を開けた。

涙があふれ出た。

瞼が、とても、とても、重かった。

目の前がチカチカと真っ白な世界になっていた。

 

 

信じてきたもの全てが、崩れ落ちた瞬間だった。

ガタガタと音を立てて崩れていくようだった。

 

当時の職場の上司が、ある日、私に小さな白いメモ用紙を差し出した。

「必ずここに電話して。必ず。いいね」

あの日から、私たちの人生は、静かに、けれども大きく動いたのだ。

全てはあの日始って、今に繋がっている。

今は、過去の積み重ねなのだ。

 

 

私は、心のどこかでわかっていた。

ずっと、『もしかして・・・』と思っていた。

けれど、その思いに自ら蓋をしていた。

気づいても、気づかないふりを、していたのだ。

 

 

『そんなはずない』と。

 

 

なぜか、ジンと、胸が、傷が痛んで、顔や身体のあちこちのあざが、

何だか急に熱を増して痛むような感覚を覚えて、

その時の私の身体に残る傷やあざが、どうして出来上がったものなのか、

私は、鮮明に、思い出しました。

 

私は、間違いなく、夫に殴られたのでした。

 

 

それでも、なお、当時の私には、

自分が『DV被害に遭った』『犯罪被害を受けた』という認識がありませんでした。

『私の夫はDVをする人だ』という現実を受け入れられませんでした。

 

「私の伝え方が悪かったのかもしれない。DVなんて、そんな、そういうつもりで話してないし、私にもいろいろ悪いところがあって。ケンカになるのは、どちらにも悪いところがあると思うし。人は誰しも自分のことを良く見せようとしてしまったりするし、平等に見てほしいんです。平等に話を聞いてほしいんです。彼だけじゃなく、私が、私も悪いとして、客観的に話を聞いて欲しいんです」

 

私は、相談員にこう話したのだった。

 

相談員は冷静でした。

私の目を見て、静かに言いました。

「いかなる理由があろうとも、人を殴ってはいけないの。まして、怪我をさせてはいけない。あなたは、DVを受けてる」

 

「そうですか」

まるで、他人事のような返答をして、私は、ただ茫然としていました。

涙が止まりませんでした。

私は、なおも相談員に、

「ちゃんと話を聞いてくれませんか?」

「本当に私はDVを受けてる?本当にこれはDV?そんなまさか・・・」

と食い下がったのでした。

「間違いない。これはDVだよ。しかもモラルハラスメント。さらに、この親もね」

私は、まるで、日本語がわからなくなってしまった。

 

 

夫は、些細なことで、よく怒りだしたものでした。

一度怒りだすと、落ち着くまでにはいつも大変な時間を必要としました。

その度、非常に精神をすり減らし、疲弊したものでした。

その光景を子どもに見せることがとても辛く、また、子どもを巻き込んでいるという現実を申し訳なく思ったものでした。

 

夫は穏やかな時もたくさんあって、一緒に買物に出かけたり、食事をしたり、互いの考えや思いを語り合ったり、それまでの人生を話したり、未来に思いを馳せたり、笑い合い、ふざけ合い、話をしたものでした。

 

私は、彼と一生添い遂げるつもりでした。

ずっと一緒にいたかった。

『彼とは年をとっても共に歩んで行ける』

そう思って結婚しました。

 

いつから何が変わってしまったのでしょう。

 

きっと、何も変わってなどいないのかもしれません。

 

振り返れば、暴力の兆候はあったのかもしれない。

 

それを、私は、

例えば、行き違いや何か不満に思うこと、

必ずしも考えや思いが同じでないこと、

そういったことが生じるのは当たり前のことだと思い、

妥協することを選択していたように思います。

 

育った環境が違うんだから、違って当たり前、元は他人同士なんだから、衝突することはある、そう思っていました。

 

いや、

『何かが違う』と感じながら、そう思おうとしていたかもしれません。

 

真面目な顔をする夫、おどけて見せる姿、手料理をおいしいと目をつむってかみしめる横顔、誕生日プレゼントに涙を流して感動する顔、子どもと一緒に笑う顔、いびきをかく寝顔、どれも、私の好きな夫の姿でした。

 

いつのころからか、そうした時は限られた瞬間になっていきました。

 

夫の寝顔を見ては、泣いた夜もありました。

どうか、どうか、二度と殴られませんように、と願った夜もありました。

逃げようかと考えた日もありました。

でも、きっとまた優しい夫に戻るはずだと信じていました。

病院にも行っているのだから、多少の時間がかかったとしても、今を耐えれば、踏ん張れば、必ず乗り越えられる、そう信じていました。

けれども、現実は変わりませんでした。

夫の暴力はエスカレートしていきました。

夫は、そのことに気づいているようでもあり、気づいていないようでもありました。

どうしてこんなことになってしまったのかと、考え過ぎてひどく頭が疲れてしまい、体調が優れない日もありました。

すると、また優しくなって、また怒りだすのでした。

私は、混乱していきました。

そんな日々を送りながらも、夫の前では努めて明るく振舞うことを心がけていました。

いつか、わかってくれるはずだと、まだ信じていました。

 

決して辿り着くことのないゴールを探して、

見えることのない、トンネルを抜けた先の光を探して、

空けることのない夜を歩き続けて、

私は、すっかり疲れてしまっていました。

本当に、疲弊していました。

 

それでも、『やさしい夫』に頼り、救われている自分がいました。

 

本当の現実は、

『またいつ殴られるのか』

『あの人を怒らせてはいけない』という恐怖の中で、

日々、私はどう対処すべきなのか、一体どう対応すべきなのか、何が正解なのか、

どうしたら、あの人を怒らせずに済むのか、

怒らせないように・・・

怒らせてはいけない・・・

と気を使い、神経をすり減らしていました。

私は、次第に、精神状態が不安定になっていきました。

それまでできていたことができなくなっていき、集中力を欠き、周囲の人と会話がうまく成り立たなくなり、少しずつ距離を置くようになりました。

そのことに静かに動揺し、混乱し、疲れているのだと自分を慰めては、さらに夫に対する恐怖と不安から、心身ともに衰弱していったのでした。

 

私は、徐々に、けれども確実に判断力を失っていきました。

 

夫は、自分自身のしていることはわかっていない様子でした。

暴力を振るう夫に、私が「怖い」と言ったときには、「俺のことを怖いって言ったな」と、夫はさらに激昂し、暴言を吐き、暴力を振るい続けました。

彼は、いつも、止まりませんでした。

いつも私は、彼の怒りが収まるか、彼が疲れるのを待ちました。

一瞬の隙を狙い、逃れ、気づくと必死で子どもを守っていました。

当初は反抗するだけの判断力がありましたが、いつからか、私の判断力は別の方向に傾いていくことになりました。

 

『このあざはどうやって隠そう、こっちは、これは・・・』

 

暗闇の中を夜通し歩いているような気分でした。

クタクタで、もう一歩も動くことができない心身状態なのに、歩かなければなりませんでした。

歩かなければならないけれども、一体どこに爆弾があるのかわからなくて、探しても探してもわからなくて、ビクビク怯えて生活をしていました。

 

眠れずに、夫と子どもたちの穏やかな寝顔を見ては、涙が溢れ出て、声を殺して泣く日々が続きました。

好きだったはずの穏やかな夫はどこへ行ったのか、

目が覚めたらもう二度とあんなことは起きないのではないか、

いつも、そう思い、願ったものでした。

 

現実は厳しく、状況は徐々に、確実に、悪化していました。

何とか一緒に病院に行ってもらえないかと、

何か他に解決する方法はないものかと、

いつもいつも考えるようになりました。

 

その思いはやがて、『誰か気づいて』という小さなつぶやきに変わっていきました。

 

私は限界を迎えようとしていました。

すでに、とっくに限界は越えていたのかもしれません。

 

暴力は、精神的な不安定さや、病気などの影響もあるのでしょうが、

やはり長く歩んだ人生の中で形成された人格も影響しているのだろうと思います。

 

夫の場合には、両親や家族の不仲、

両親にひどく抑圧されて育ったという成育環境とその記憶、

いじめを受けたり疎外感を感じて過ごした過去、

 

経験したことが元で、大人になった時、DVの加害者や被害者になる可能性は高いという事実があります。

 

私の夫にもあてはまるのかもしれません。

 

『暴力』という、本来、非日常である存在が、否応なしに日常の中に入り込み存在したのなら、それは、暴力をする人にとっては『日常』であり、『常識』なのでしょう。

それをいくら間違っていると唱えたところで、それを受け入れることは困難なのかもしれません。

それを受け入れることは、彼らにとって、夫にとって、自分の過去を否定することになってしまうのかもしれない。

そうしたら、誰しも、その現実に、愕然とするのでしょう。

自分は一体何なのか、生きてきた道は全て間違いだったのか、何が正しくて、何が正しくないのか、終わりのない闇の中に、迷い込んでしまうような感情に襲われるのかもしれません。

 

夫は、いつからかよくこう言うようになりました。

「何が違うんだ。どこが違う。どこからだ。何がだ。俺は違わない。ずっとこれが当たり前で来たんだ。間違ってない。俺にはわからない。俺はこのままでこれでいいんだ」と。

この頃には、「お前ら誰のおかげで生活できると思ってるんだ」「俺が仕事してるからだろ」「自分は好き勝手やってるくせに」という言葉が出るようになっていました。

『もうだめだ』と思い始めていました。

『これが本当のこの人なんだ』そう思いました。

 

人には誰しも歴史がありいろいろな背景があるとは思いますが、夫にとって、『当たり前』であったこと、それを『非日常』と捉えることは、非常に難しいことだったのでしょう。

 

私は、『自分がDVを受けている』ということを、なかなか認識することができませんでした。

受け入れられなかったのかもしれません。

自分が精神的に疲弊しても、なお、認識することができませんでした。

 

この頃から少しずつ、

『自分を見失ってはいけない』『自分を取り戻さなくては』

という思いがやがてどこかへ消え、

夫への愛情と葛藤、子どものこと、例えようのない不安と恐怖、

そして、

夫に病気の治療をしてほしいと願う気持ちと、

心身ともに健康で本当に元気になってほしいという気持ちが入り混じるようになっていました。

 

また、

例え私たちが別々の道を歩むことになっても、夫には、彼の人生と未来に希望を持つことだけは、決してあきらめないでほしい、忘れないでほしい、きっといつかたくさん笑って幸せだと感じて生きてほしい、と願ったものでした。

今も、自分を大切にしてほしい、自ら病気にのまれるようなことはしないでほしい、手の施しようがなくなる前に良くなる方法をあきらめないでほしいと願う気持ちは変わっていません。

 

私たちの間に起こった問題は、

彼だけが必ずしも悪いのではないのだと思います。

私にも悪いところがたくさんありました。

私は、彼に仕返しもしました。

同罪です。

 

愛情を持ち、交わす、というのは素晴らしいことです。

けれども、愛情が憎しみに変わってしまうことがあります。

私は、愛することはひとつの技術であると思います。

思いやりを持つこと、愛情を持つこと、大切に思う気持ち、

最初の気持ちを思い出して、もっと早く、互いを尊く思い尊重できたら、

結果は変えられたかもしれません。

 

そして、今まだなお、一番苦しんでいるのは、暴力を振るった夫自身なのではないか、止められない夫自身なのではないか、と思うのです。

 

 

失敗したとき、つまづいた時、問題や課題に直面した時、目の前に困難が立ちふさがる時、何を考え、どういう行動を取るのか、だと思います。

 

知ることが第一歩に繋がることは多いものです。

そこからどうしていくか、それが大切なのだろうと思います。

そこから道が開いていくのだと思います。

道を切り開くのだと思います。

 

通り過ぎた後でも、気づいた時に始めるのでも、決して遅くはないと思います。

 

どうか、どうか、自分を大切にしてほしいと思うのです。

 

まだ私はあきらめずに伝えたい、夫を信じたい、と思うのです。

 

『互いに、出会わなければよかった』と考えてしまうようなことは避けたい、そう思うのです。