決断~揺るがない思い
さて、何をどう言うか・・・
何度も考えをまとめたけれども、やはりいざとなるとどのように言うか、何をどこまで言うかを考えてしまう瞬間でもあります。
「被害届を出しました」
「離婚を決断したっていうこと?」
「違います。離婚はしません」
調停委員の動揺と混乱。
「ご主人を追い込むのか」「立場を悪くするようなことをして」
「ご主人の立場を悪くしたくないと言っていたではないか」
調停委員の反応は当然のことだと思う。
あのような反応になるであろうことは想定していた。
ただ、あまりにも想定していただけの反応に留まり、説明をしても理解が得られなかったこと、これまでの私の主張や事実として話してきたことを踏まえても、最後まであの反応に終始したことについては、率直に頭が固いと思わざるを得ない。
考え方は一つではない。
結論は必ずしも一つではない。
考え方一つで方向性は無限に広がる。
思い込み、決めつけや主観で話を展開しようとすること、推し進めようとすることは、話し合いの場では非常に危険だ。
前提となるものが間違ってしまえば結果は間違った方向に進んでしまう。
それぞれにぞれぞれの立場がある。
裁判所には裁判所の、調停委員には調停委員の、夫には夫の、弁護士には弁護士の、警察には警察の、私には私の、それぞれの立場、立ち位置がある。
できること、できないこと、やるべきこと、やる必要の無いこと、役割。
伝えるって難しい。
いろいろな局面でそう感じる。
あの時、シングルで産み育てる決断を変えず、黙って別れて内緒で子どもを産んでいればこんなことにならなかったのか。(我ながら随分遡ったなぁ・・・)
違う。
それでは根本的な問題の解決にはならない。
彼の抱える問題の根を絶つことはできない。
根が絶たれなければ、次の被害者、次の問題が起きることは防ぎようがない。
私が見てきたもの、聞いたもの、起きたことは紛れもない事実だ。
起きること、起きたことが今までの程度で済んでいるうちはいい。
彼に救いはないのか・・・
大事に至る前に、手を打つことが必要なこともある。
何かが起きてからでは遅い。
誰の目にも明らかに見える形で表れる前に、
そこまで自体が悪化する前に、進行し過ぎる前に、
手の施しようが無くなる前に、手を打つ必要があると思う。
今は、いい薬がたくさんある。
いろいろな治療法もある。
彼の人権を、本当の意味で守ること。
彼を、本当の意味で守ること。
私はそれを考え続ける。
あきらめず、行動し続ける。